携帯電話による通話やメールによるコミュニケーションは、近年急速に普及しつつある。しかし携帯電話(特にメール機能)によるコミュニケーションは1対1の極めて親密な関係において生起するため、集合的なコミュニケーションという社会的文脈からは大きく外れており、結果として社会における「参加のメディア」として機能していないことが明らかにされつつある。こうした携帯電話利用の社会的帰結は、「予期せぬ帰結」として社会に新たなディバイドをもたらしうる。本研究では、携帯電話のコミュニケーションメディアとしての定着と社会化が同時に進行しつつある10代の若年層に焦点を当て、社会化過程における携帯コミュニケーションが異質な他者に対する非寛容性に及ぼす影響について実証的に検討することを目的とする。異質な他者とは社会的な意見や態度において異質な他者を指す。人々は異質な意見との接触を通して、自らの意見を広く理解される形に修正していき、さらに異質な意見を持つ他者との協同を行うスキルを磨くことができる。これらは、豊かな社会関係資本をもつコミュニティを形成するためには必要な「訓練」である。特に従来の伝統的な社会的障壁が崩壊しつつある現在、異質な他者とのインタラクションとそれに必要なスキルは社会の統合という視点からみても極めて重要な意味を持つことは明白である。
携帯電話契約数は平成14年度末で7,500万契約を超え、インターネット総利用人口においても携帯電話を用いて利用している層が約40%、携帯電話のみで利用している層が約15%存在しており、なお増加傾向にある(総務省, 2002)。しかし日常の社会生活に埋め込まれた携帯電話によるコミュニケーションが、個人や小集団に対してだけではなく社会全体にどのようなインパクトをもたらすかについての研究は社会心理学において決定的に遅れているといわざるを得ないのが現状である。それは主として実験に依存し、新しいメディア特性が個人の心理や態度に及ぼす効果を明らかにしようとしてきたこれまでのCMC研究から脱却することを必要とする。
CMCとしての携帯電話によるコミュニケーションが社会全体にどのようなインパクトをもたらすのかについての研究として、小林・池田らによる一連の研究が挙げられる(Ikeda, Kobayashi & Miyata, 2003;小林, 2003a; 小林,2003b)。これらの研究はPCと携帯電話によるメール利用の社会的文脈の違いに注目し、PCメールの利用が社会参加・政治参加を促進し異質な他者に対する非寛容性を低減する傾向を示す一方で、携帯メールの利用は社会参加・政治参加を促進せず非寛容性を増加する傾向を示すことを明らかにした。参加や非寛容性に対する効果に違いが生じるのは、PCによるメールコミュニケーションはそのカスタマイズ性の高さによりメーリングリストなどの形でN対Nの集合的な利用を可能にしているのに対し、携帯電話によるメールコミュニケーションが主として「強い紐帯」といわれる極めて親密な関係における1対1の形で生起するためであると考えられる。つまり、メールに特徴付けられる携帯電話によるコミュニケーションは、極めて類似性が高く同質な他者との高頻度なコミュニケーションにとどまらせ、社会的意見や態度の洗練に必要となる異質な他者とのインタラクションの可能性を低下させている可能性がある。仮に携帯電話によるこうした「内輪な」コミュニケーションに満足することが集合的なコミュニケーションを阻害し、それが異質な他者とのインタラクションを減少させるのであれば、それは社会参加・政治参加を阻害し他者に対する寛容性を醸成しないという点で新たな社会的ディバイドとなって深刻な社会的帰結をもたらす可能性を秘めている。
さらに利用パターンの分析をした結果は、携帯電話のメールしか利用しない層が、若年の低学歴層であることを明らかにしている(小林, 2003a)。近い将来社会的・政治的アリーナへ参入する若年層において、携帯電話によるコミュニケーションによって参加や寛容性の醸成が阻害される可能性は、社会全体のレベルにおいて看過するべからざる喫緊の問題である。
小林・池田らによる上記の一連の研究は、選挙人名簿に基づくランダムサンプリング調査に依拠しておりその点において代表性を持つ議論であるが、調査の対象者が20歳以上であったため、集合的問題の解決やジレンマ状況における協調行動に必要となる能力を養う社会化の過程にある若年層(10代)を捉えていない。さらにワンショットの調査結果の分析であるため、相関分析にとどまっており参加や非寛容性とメディア利用の因果関係について明らかにしたわけではない。
本研究では、こうした新たなディバイドの可能性をよりヘビーな携帯電話ユーザ層でもある10代においてパネル調査を実施することで検討する。これにより、携帯電話の利用が社会化の過程でパブリックなアリーナでの異質な他者とのインタラクションを減少させ、それが異質な他者に対する寛容性を低下させる可能性について因果的に検討する。
この研究は理論と経験的データの収集両面において多様な示唆をもたらす。一つの主要なメリットは、マイクロなメディア利用とマクロな社会的帰結の相互作用の態様を理解することである。このことによって、CMC研究の領域を拡大することができる。もう一つのメリットは研究結果の応用と関連している。携帯電話によるコミュニケーションがもたらしうる新たなディバイドのメカニズムについて明らかにすることにより、高度情報化社会においてコミュニケーションメディアが社会統合や民主主義システムの運営にどのような効果を持つのかをシミュレートすることができる。
研究方法は、パネル調査による定量的実証によって行う。携帯電話の所有率の高い都市部における高等学校をサンプリングし、調査を依頼する。学校のサンプリングをせず調査可能な学校のみで実施するデザインも可能であるが、携帯電話によるコミュニケーション自体が、ひとつの社会である学校内での情報環境やリアリティと交互作用を持つことも十分に考えられる。本研究では、分析レベルにおいて学校単位の効果を導入するために階層線形モデルに基づくマルチレベル分析を計画している。そのため、ここではそれぞれの学校を異なる母集団として捉える多母集団分析を前提とした調査を設計する。個人レベルと学校レベルでの効果の双方を考慮することで、社会化の過程におけるメディア利用についての教育社会学的な知見も得られる。
調査は質問紙調査によって行われる。主たる関心としてのコミュニケーションメディア利用に関する変数と、参加と非寛容性に関する社会関係資本変数を測定する。メディア利用に関する変数では携帯電話による通話利用とメール利用の量と質にとどまらず、参加と寛容性を醸成する可能性を示したPC利用についても測定する。さらに、コミュニケーションメディア利用と参加・非寛容性の双方に関係する変数として、対面コミュニケーションと個人の持つパーソナルネットワークに関する変数も取得する。これは、携帯電話の利用が非寛容性に対して直接効果を持つというよりはむしろ、携帯電話の利用がパーソナルネットワークを同質性の高い「強い紐帯」に偏ったものにすることによって異質な他者に対する非寛容性を高めるという媒介的なモデルが妥当であると予測するからである。ネームジェネレータ(注)を用いたパーソナルネットワーク変数の取得により、携帯電話を用いたコミュニケーションが個人を取り巻く情報環境にどのような認知的な歪みをもたらすかについて詳細に検討することが可能となる。
第1波の実施後、約半年-1年の期間(未定)をおいて同一質問項目による第2波を実施する。第1波のデータにより、先行研究で示された携帯電話によるコミュニケーションと非寛容性の正の相関関係が10代のサンプルにおいても見られるかどうかを確認する。これは、先行研究の外的妥当性を保証するものともなる。マルチレベル分析では、学校レベルの変数(例えば偏差値や男子校女子校などの形態、生徒数、通学距離圏)の違いが個人レベルでのメディア利用と非寛容性の関係にどのような交互作用を持ちうるのかをオープンクエスチョンとして検討する。さらに、本研究の主要な関心であるメディア利用と非寛容性についての因果分析を行う。第2波において測定された非寛容性の変化が第1波におけるメディア利用変数によって規定されているのであれば、従来の研究では不可能であったメディア利用と非寛容性の因果関係についてより強い主張が可能となる。
本研究の目的は、スティグマ集団の成員における差別の知覚・対処過程の解明である。 スティグマ集団の成員は、その集団の成員であることだけが理由で、不当な扱いを受けやすい。しかし、彼らは、不当な扱いを受けても、その原因を差別に帰属しにくいことが明らかになっている。この帰属方略は、Minimization of Personal Discrimination (Ruggiero & Taylor, 1995)、略してMPDと呼ばれ、差別に関する問題意識の低下や対抗行動の抑制、ひいては差別の維持をもたらす一因となっている。したがって、MPDの生起過程の解明は、差別の解消に繋がる重要な研究課題といえる。
[研究1] 場面想定法を用いた実験を行なう。参加者は、女子大学生80名。1回の実験への参加者は3-5名程度とする。まず、女性主人公が就職面接で不採用になるシナリオを参加者に呈示する。自己防衛の生起は、主人公を「あなた(参加者自身)」、あるいは「A子さん(内集団他者)」とすることで操作する。なお、内集団他者に対しては、防衛過程が生起しないことが確認されている(浅井2001; 2002)。女性アイデンティティの状態は、面接で同席する人物の性別によって操作する。「アイデンティティ高条件」では異性、「低条件」では同性との同席状況を呈示する。その後、質問紙によって不採用の原因帰属や自尊心状態等の従属変数を測定する。結果は、原因を差別に帰属した程度について条件間で比較するほか、原因帰属と諸変数の関係について共分散構造分析を用いた検討を行なう。そして、研究1とこれまでの研究から得られた知見を総合し、MPDの生起過程に関する精緻な構造モデルの構築を行なう。
本研究の目的は、共感研究に適応論的な視点、すなわち、共感を社会的環境に適応するための心の道具として捉える視点を導入することで、共感の適応基盤を明らかにすることにある。社会心理学における共感研究では、特に利他行動との関連(e.g., Eisenberg & Miller, 1987)が追求されてきたが、近年においては、共感は、いくつかの能力から構成されるという多次元的な概念として理解され始めている (Davis, 1994)。しかし、これまでの共感研究では、共感の各次元のそれぞれが対応している適応課題の性質については関心を払ってこなかった。本研究は、社会的存在としての人間が解くべき社会的適応課題の内容を分類し、共感性の各次元が、それぞれの適応課題の解決にどのように役に立つかを分析した上で、その結果を実験を用いて検証するとことを目指している。
本研究では、情動的な共感の背後にある適応課題の性質を明らかにするために、純粋な利他行動と道徳性判断の個人差と共感の各次元との関連性を検討する実験を実施する。ただし、利他行動や道徳性判断に関しては、その適応基盤は明らかではない。そこで、利他行動に関しては、利他行動が他者に対するシグナルとなる可能性を検討する予定である。具体的には、利他行動を選択することで、他者から望ましい特性を持っているというポジティブな評判を得たり、また、そのことが逆に他者から利他行動を受けやすくなるかどうかを検討する。よって、実験では、情動的共感と利他行動の直接的な関連を調べるだけでなく、利他的な人に対しての利他行動の程度と情動的共感との間接的な関連も併せて検討する。
本研究は,自己の各側面(個人的自己や関係的自己・集合的自己)が複合的に働き,個人がそれらの自己全体を高く維持しようと能動的に自己の捉え方を変化させる,自己カテゴリー化過程を明らかにすることを目的にする。
欧米では近年,自己カテゴリー化理論(Turner, 1987)を基に,個人的自己と集合的自己の関係性をより統合的に理解しなおす試みが活発であるが,これらの研究では,人のより能動的な自己カテゴリー化過程に関してほとんど言及していない。また,研究の多くは個人的自己と集合的自己が個人の中で相容れないものであることを前提としている。しかしながら,集合的自己の好ましさを維持・高揚するとともに,個人的自己の好ましさも維持・高揚していくことができれば,それは個人の自己評価の全体を高く維持でき,最も高い適応をもたらすはずである。そのような自己の状態を得たいという動機づけによって,人が能動的に自己の捉え方を変化させたり,望ましいカテゴリーへ自らのアイデンティティをシフトさせていく過程は十分に考えられる(礒部・浦, 2002)。
能動的な自己カテゴリー化を促すと考えられる状況の一つに個人的自己の脅威状況があり,そのような状況において,人は集合的自己の側面でそれを補おうとする能動的なカテゴリー化を行うことが示されている(Mussweiler, Gabriel & Bodenhausen, 2000; 礒部・浦, 2002)。また,複合的に自己の評価を望ましいものにしようとする自己カテゴリー化過程が存在することも示されている(Kampmeier & Simon, 2001)。本研究では,これらの研究を基に個人の内的要因と状況や集団の要因をあげ,それらが,複合的な自己評価の維持・高揚動機に基づいた能動的な自己カテゴリー化に及ぼす影響を検討する。
能動的自己カテゴリー化過程に関連する個人的自己の捉え方として,特性自尊心(礒部・浦, 2002他),個人性の2要素(Kampmeier & Simon, 2001)や相互独立依存的自己観(Markus&Kitayama, 1991)等の要因があげられる。また,集団特徴として少数派-多数派(Kampmeier & Simon, 2001他)や集団のアイデンティティ構造(Yuki, 2003; Prentice, Miller, & Lightdale, 1994)等があげられる。これらの要因の違いによって望ましい自己像や成員像が異なり,それにより個人の脅威から受けるインパクトやそれへの対応が異なることが予想される。したがって,本研究ではまず,これらの変数間の関連性を検討し,主要となる要因を整理する。
次に上記の検討を基に,実験的に参加者を個人的自己が脅威づけられる状況(自己への低い評価を与えられた状況や求める自己のあり方を属している集団が満たせない状況)におき,人が自己の各側面の評価や様々な特性を持つ内・外集団(の成員)への態度をどのように変化させ,個人が個人的にも集合的にも望ましい自己像を獲得しうるのかについて検討する。
Markus & Kitayama (1991) が提唱した文化心理学の枠組みのもと、さまざまな心理学的現象において文化差があり、しかもその差異のあり方にはある一定の方向性があることが明らかになりつつある。Nisbett (2003) によれば、西洋人の認知スタイルは分析的であり、対象や対象が属するカテゴリーに注目し、人の行動や事物の動きを理解・予測する際、規則性を手がかりとして用いる。一方、東洋人の認知スタイルは包括的であり、全体的背景に注目し、人の行動や事物の動きを理解する際に、対象と背景との関係性を重視する。