恋人や友人といった親密な関係において、人々はどのようにサポートをし合えばよいのであろうか。本研究は、共同規範に基づくサポートと交換規範に基づくサポートが、親密な関係において相互補完的に成立するメカニズムの解明を目的としている。
Clark & Mills (1979) によれば、親密な関係では共同規範が採用され、単なる顔見知りなど親密性の低い関係では交換規範が採用される。共同規範とは、相手のことを無条件に思いやり、利他的にサポートし合うべきというものである。交換規範とは、衡平理論から予測されるように、相手からの見返りを期待して、互恵的にサポートし合うべきというものである。しかし近年、親密な関係においても、交換規範に基づくサポートがより有益であるとの報告がなされている (Gleason et al., 2003)。従来の研究には、これらの相反した知見を統合しうる理論はみられない。申請者は、ダイアド―個人という階層的な枠組みを導入することで、この問題の解決を目指す。裁判員裁判を社会の流れで考えると、裁判の実施→裁判結果の報道→結果を市民が知る。市民は結果を知った段階で、判決の妥当性を評価し、その上で主観的な量刑判断を行っている可能性が考えられる。そこで本研究では、決定者である裁判員だけでなく、観察者である市民の視点にも注目し、両者の裁判における公正感や満足感について検討する。
市民の量刑判断は応報的であることから(Carlsmith,2007等)、応報的な評議がなされ、被告の情状面等についての議論が展開されない可能性が指摘される。この事が顕在化すれば、手続き的公正が阻害され、裁判の公平さが損なわれる(Lind&Tyler,1988等)。だが、応報的な評議により厳罰化が起こったとしても決定者・被害者・観察者側の公正感である「報復的公正感(Echoff,1974)」が満たされるため、裁判員と市民は判決に主観的な公正感と満足感を得る事が予想される。では、その評議に手続き的公正が加わったなら、公正感と満足感はどの様に変化するのだろうか。人は、他者に自己との共通点を見つけると、親近感を感じて打ち解ける事ができる。一方で、隔たりを感じる他者については単純に考え、誤解してしまう事もある。自他間の心理的距離は他者理解にいかに影響し、そこに文化差はあるのだろうか?
「解釈レベル理論」(Tropeら, 2010)によれば、心理的距離が遠い他者の態度を推測する場合、人は抽象的・非文脈的に思考するようになり、対応性バイアス(状況を軽視した過度な属性帰属)を生じやすくなるという。この理論は、時間・空間・社会的距離など心理的距離の次元を区別しているが、欧米人を対象とした研究では、どの次元も一貫した影響が対応性バイアスに見られる。しかし、他者と自己の関係性に敏感な相互協調的自己観のもとでは、心理的距離の各次元は異なる意味をもつ可能性がある。
本研究では、自己から他者の様々な心理的距離が、「相手の身になって考えること」にいかなる作用を及ぼすのかを比較文化的に検討する。