自己制御(self-regulation)は、目標の達成に向けた自らの行動や認知の調整である。先行の自己制御の発揮は、人を自我枯渇(ego depletion)に陥らせ、後続の自己制御の遂行を低下させる(e.g., Baumeister et al., 1998)。過去の研究では、自我枯渇時における自己制御の不全が、その発揮への動機づけの低下によって生じることが確認されている(for review, see Inzlicht & Schmeichel, 2012)。一般に、人は自己制御を発揮しないことに対して罪悪感を抱くことから(e.g., Giner-Sorolla, 2001)、自我枯渇による動機づけの低下(i.e., 自己制御したくない)と、焦点目標の活性化による自己制御発揮の要請(i.e., 自己制御しなければならない)は個人内に葛藤を生じさせると考えられる。本研究では、この葛藤が自己制御の不全の正当化により解消されるという想定の下(e.g., Kivetz & Zheng, 2006)、過去の資源投入をシグナルする「既達成の目標」が正当化の手掛かりとして機能することを明らかにする。より具体的には、「自我枯渇時における既達成の目標へのアクセスは、自己制御の不全の正当化を通じて、その遂行を低下させる」という予測を検討する。
対人関係におけるパートナー獲得戦略の一つに、特定の相手に対してのみ他者に対するよりも多くの資源を配分する、排他的集中資源投資行動がある。こうした排他的行動は、自分が相手を裏切らず、他の相手に乗り換えないという安心を提供し、相手からパートナーとして選択されることにつながる。本研究では、こうした安心を提供する戦略は、対人関係の形成や乗り換えといった選択が自由で、パートナーを他者に奪われる懸念の高い社会でこそ、長期的関係を結ぶにふさわしい相手であることのシグナルとしてより有効になるだろうとの仮説を立てた。この仮説を検討するため、本研究は、対人関係の選択の自由度が高い社会においてより排他的集中資源投資行動がパートナー獲得戦略として有効であることを、国際比較研究と実験室実験という多様な手法を用いて多面的に検討する。
協力は人間社会を維持していく上で最も基本的な概念であるが、伝統的経済学を始めとする従来の社会科学においては、人は本来的に自己利益を追求する存在であり、利他行動は理性の力によって成されるものと考えられてきた。しかし近年、この考えを覆す結論がRand et al. (2012) によって下され、大きな注目を集めている。Rand et al. (2012) はこの考えを真っ向から覆す「人々は直感的に判断すると協力的である」が、「熟考すると非協力的となる」という結果を、10度にわたる実験において見いだした。ただし、人間が本来的に協力的な存在であることを支持する証拠はあらゆる分野から提示されてきているものの(e.g., Tomasello ,2012) 、「なぜ人は熟考すると非協力的となるのか」という問いは、「人が直感的に協力的であること」よりも本質的に重大な論題であるにも関わらず、未だ統合的な解答をもたらす研究はなされていない。本研究では、協力行動を説明する上で極めて有効とされている、Pruitt & Kimmel (1977) の目標期待理論を用いてこの問いを検討する。
人間は親世代から受け継いだ文化(知識、規範、技術、芸術など)に改良を加えるプロセスを数千年かけて行うことで、他の動物が作り得ない高度な文化を産み出した。この世代交代を繰り返しながら、文化を漸進的に改良することを累積的文化進化と呼ぶ (Boyd & Richerson, 1996)。
この文化の改良が生まれるための重要な要素は他者から他者へ受け継がれる際の、伝達の正確性である。ただ伝達の正確性が如何に人間の文化に作用し、累積性を産み出しているのかに関しては数理モデル、進化シミュレーションなどからも一貫した結果が導き出されていない (e.g.; Kirby, et al., 2007; Lewis & Laland, 2012)。
本研究は、計算量理論で用いられる課題(NP問題)を使用し、他者から他者へ文化(解法)を伝達することが、個人が繰り返し試行錯誤することに比べ、どのような文化を進化させるのか、実験室実験において探索的に検討する。本研究では課題を行う回数を統制し、同じ回数でも人から人へ情報を伝達した方が、個人がその回数を1人でやる場合よりも、また伝達条件と同じ人数が集まって一斉に行う場合よりも優れた文化を作り上げられるのか検討する。