自由意志って本当にあるのだろうか?
「人々は,自分の意志で行動する」
そんな当然のことのように思える命題を,本気で疑ってかかるのが哲学の仕事だ。
しかし,心と行動を研究する心理学者こそ,まさにこの問題を第一に考えるべきではなかったか。
この論文では,「自由意志があると信じること」にまつわる問題を哲学と心理学の両方の側面からレビューし,それらを統合的に理解するモデルを提案するという壮大な目的を持って執筆されている。
哲学者が論理のみで考えぬいてきたこと,また一般の人が自由意志について素朴に思うこと,そして社会心理学者が科学的に検討したこと。これらを一つの話としてまとめあげた意欲的でチャレンジングな試みである。
哲学理論を経験的に検証する・・・実験哲学
哲学者は次のように考える。
「自由意志を認めるとことと,世界が決定論的であることは両立するのだろうか?」。
自由意志を認めることは,人々は自らの判断で行動を決定していること,そしてその行為の責任もその行為者が負うことを認めることになる。しかし一方で,科学的な心理学の立場に立つと,行動はある決定論的なメカニズムで生起していると考えたくなる側面もある。これらの理解は両立するのだろうか。
渡辺氏のレビューでは,哲学者の立場は両立可能派と非両立派で分かれているようだ。そして,両立派と非両立派の決着がつかない中,哲学者はついに実証的手段を選択した。「実験哲学」である。
実験哲学とは,哲学者が論理と哲学的直観のみで結論を導くことの限界を乗り越えるために近年展開している学問領域である。実験哲学では,一般の人に自由意志とは何か,世界が決定論的であることと両立するかなどについての直観を尋ねることで,哲学的難問を解決する糸口になると考えているのである。
しかし,実際に尋ねてみると面白いことがわかってきた。人々に対する質問の仕方やシナリオによっては,両立するという答えが増えたり,逆に両立しないという答えが増えたりする。このことは,人々は自由意志についての判断だけではなく,それにまつわる心理プロセスを包括的に考える必要性があることを意味している,と著者は指摘している。ここに,まさに社会心理学者が自由意志研究に貢献しうる点があるというわけだ。
哲学と社会心理学のコラボレーション
論文の後半では,社会心理学における自由意志にまつわる膨大な研究のレビューが行われている。
そこでは,「人々はそもそも自由意志を信じているのか」という研究についてまとめられ,基本的には人々は自由意志を信じていることが示される。続いて,その「自由意志信念」が責任帰属や自己コントロールとも密接にかかわっていることが社会心理学的研究によって明らかになっていることが論じられている。
これらをふまえ,最終的に渡辺氏は自由意志信念についてのモデルを提案している。そのモデルでは,哲学における自由意志についての議論と社会心理学における実証的な自由意志信念についての知見がまとめられ,さらには,自由意志信念が持つ社会に適合するための機能が論じられている。その詳細についてはぜひ,皆さん自ら論文を読んでみてほしい。哲学と心理学の新しい架け橋となりうる,新たな研究領域の可能性を感じることができるはずだ。
本論文の一番のポイントは,下記のインタビューにもあるように,「心理学と哲学のコラボレーション」にある。哲学者はその緻密な論理構築だけでなく,ついに実証的な方法も採用しつつある。このことは,人を対象とした実験がお家芸である我々にとって大きなチャンスだろう。我々がもつ実験ノウハウでより精緻なデータをとりつつ,これまで心理学者がうまく扱いきれなかった,自由意志や道徳といった心についての哲学的テーマについていかにアプローチすることができるか,その手がかりを手に入れることもできるからである。
(Written by 清水裕士)
第一著者・渡辺匠氏へのメール・インタビュー
●渡辺匠氏のWebサイト:http://www-socpsy.l.u-tokyo.ac.jp/watanabe/