ステレオタイプを使ってはいけないとき
このような場面を想像してみてほしい。
あなたは、25歳になる娘を持つ父親だ。
ある日、愛娘が、あなたにこう告げる。
「おとうさん。わたし、結婚しようと思うの。今度、相手の人に会ってくれないかしら。彼、イタリア人なのよ。」
さあ、あなたの頭の中には、どのような思考が渦巻くだろうか。
イタリア人男性。
娘の婚約者について与えられた情報は、これだけである。
その唯一の所属情報から、あなたは様々なイメージを思い浮かべることだろう。
女たらしなのではないか? マザコンなのではないか? そんなやつと結婚して大丈夫なのか?
そのようなネガティブな印象を抱くこともあるかもしれない。
とはいえ、あなたは娘の幸せを願っている。
もし彼女がイタリア人の婚約者をつれてきたとしたら、そのようなネガティブな予見を必死で頭から追い出し、彼という個人の「ひととなり」をありのままに知りたいと思うのではないだろうか。
あなたは内心の抗争を必死で隠しつつ、娘の婚約者との初めての面会をつつがなく終える。
しかし、彼が帰ったあと。
リビングのソファに、ひとり静かに、腰をおろしてみる。
すると、あなたの頭の中は、またネガティブな思考で埋まっていく。
イタリア人だものなぁ・・・。
きわめて通俗的な例で恐縮だが、以上のシナリオは「ステレオタイプ抑制による逆説的効果」という本論文のテーマを日常的な場面になぞらえてみたものである。
ステレオタイプとは、ある集団に所属する成員に対する(過度に)一般化された印象のことを指す。
上の例でいうならば「イタリア人男性は女性に対して熱烈にアプローチする」というイメージに該当する。
我々はこのステレオタイプを頻繁に使用しているが、ときにはその使用を抑制すべき場面に遭遇する。
つまり、集団成員に対する固定的なイメージをつかわずに、その個人のありかたを判断すべき状況である。
たとえば、娘の婚約者の本性を見極めたり、就職面接で応募者の適性を診断したりするような場面などが挙げられる。
いわれなき差別を避けるために、そのような要請は現代社会において重要性を増しつつある。
「ステレオタイプをつかわずに、その人自身をありのままに判断する。」
たしかに大切なことだ。それに異議を唱える人はいるまい。
しかし、その実行はかなり難度が高い。
不適切な思考が生じないように情報を監視するシステムを含めて、複数の処理が同時並行的かつ複雑に働くため、それによってシステムに疲弊が生じてしまう。すると、適切な監視ができなくなり、不適切な思考がかえって思い浮かびやすくなってしまうのである。これを逆説的効果という。
初めのたとえ話にもどるなら、娘の婚約者との緊張のひとときを過ごしたことで、あなたの思考監視システムは疲れ切ってしまったために、その後「イタリア人男性だから・・・」という思考の泥沼にとらわれて悶々と悩みつづけるという仕組みである。
逆説的効果が生じにくい人とは?
ただし、逆説的効果にとらわれやすい人もいれば、そうではない人もいる。
山本・岡の論文では、その違いを生む要因のひとつとして“認知的複雑性”の個人差を取り上げた。
認知的複雑性とは、他人に対してどのくらい複雑な次元性を使用してとらえているかを表す。
たとえば「頭が良い―悪い」といった単一の次元のみを他者にあてはめて判断する人は、認知的複雑性が低い。
一方で、頭の良さばかりではなく、性格の明るさ、根気強さ、ひとづきあいの良さなど、複数の次元から他者をとらえようとする人は、認知的複雑性が高いことになる。
山本・岡によると、
認知的複雑性の低い人は、ステレオタイプをあてはめないように努力する際に、抑制すべき属性(たとえば「頭が悪い」)とは同一次元上の対極にあたる属性(「頭が良い」)を代わりに思い浮かべることで、不適切な思考を避けようとする。しかし、同じ次元上で対になる属性同士は、片方の情報が使いやすい状態になると、それと連動して対極にある情報も使いやすくなってしまうため、かえって不適切なステレオタイプを用いやすくなってしまうという。つまり、逆説的効果が生じやすい。
一方、認知的複雑性の高い人は、ステレオタイプをあてはめないために、抑制すべき属性とは異なる次元の属性(たとえば「体力がある」)について代わりに思い浮かべようとする。その結果、不適切なステレオタイプは比較的思考上に浮かびにくくなり、思考管理システムは疲弊せず、逆説的効果も生じにくいという。
女性ステレオタイプを抑制する実験
本論文は、女性ステレオタイプをもちいた実験が報告されている。
大学生のうち、認知的複雑性の高い人と低い人を事前調査によって選出し、実験に参加してもらった。
参加者はまず、ステレオタイプ抑制の操作手続きとして、「女性は」から始まる文章を6つ作成する課題に取り組む。
このとき、抑制あり条件では「女性に当てはまることは書かないでください」と指示される。(抑制なし条件では、このような指示は与えられない。)
続いて、ステレオタイプの活性化の度合いを調べるために、パソコン画面上に次々とあらわれる単語への反応時間を計測した。
結果、ステレオタイプ抑制なし条件よりも、抑制あり条件のほうが女性ステレオタイプ関連語への反応が速かった。つまり、その情報を使いやすくなっていたことを意味する。これは、抑制による逆説的効果が生じていたことを表している。
さらに重要なこととして、このパターンは認知的複雑性の低い人のみにおいて示され、高い人については反応時間の差異が見られなかった。すなわち、予測どおり、認知的複雑性の高低に応じて、逆説的効果の生じやすさが異なっていることが示唆された。
さて、冒頭の例に戻ろう。
今回の実験結果をあてはめるならば、こうなるはずだ。
もしあなたが「人にはいろいろな側面がある」と考えるタイプの人(認知的複雑性の高い人)だったならば、娘のイタリア人婚約者と初めて面会した後に、逆説的効果に悩まされる可能性は低いだろう。
しかし、あなたが人の一側面のみにフォーカスして他者を判断しやすいタイプ(認知的複雑性の低い人)であった場合、あなたの思考は逆説的効果によって泥沼化し、眠れぬ夜を過ごすことになるかもしれない。
今回のレポートでは、現象をできるかぎり平易につたえるために上記のような日常的な架空シナリオを用い、理論的説明は大幅に割愛してある。どうかご容赦を願いたい。
山本・岡の論文中では、ていねいな先行研究のレビューと理論的議論にもとづいた、説得力のある仮説導出および充実した考察が行われている。ぜひ本論文をご覧いただき、その緻密なディスカッションを味わっていただきたい。
(Written by 尾崎由佳)
山本真菜氏へのメール・インタビュー