心配ないと言われても,買うのをためらってしまう?
ここに,おいしそうな桃が2つある。大きさも,香りも,ちょうど食べ頃に熟しているのも同じ。値段も同じだ。
唯一違うのは産地表示。
ひとつは「福島県産」,もうひとつは「岡山県産」。
さて,どちらか1つを選んで買うとしたら,あなたは何を感じ,どう考えて,どちらを選ぶだろうか?
「放射線基準値を超えるものは流通していない」と説明しても,放射線災害の被災地で生産された食品を避ける消費者はいる。そのため,被災地で生産された食品が売れ残ったり,他地域で生産されたものよりも安値で取引されたりといった「風評被害」も起きている。
被災地産の食品を避ける人の中には,心配ないという趣旨の説明は間違いだとか嘘だとか思っている人もいるかもしれない。しかし,そこまで疑っているわけではないのだけれど,なんとなく被災地産の食品を買うのはためらってしまうという人も多いだろう。
なぜ,このような判断になるのだろうか?
私たちは2つのシステムでものごとを判断する
人がものごとを判断するしくみは2種類ある。1つは感情,直観や連想を使って素早く大まかな判断をするシステム1。もう1つは論理的,意識的によく考えて精緻な判断をするシステム2だ。
被災地産の食品を買うかどうかに関する判断は,2つのシステムの働きの強さによって異なると考えられる。
システム1は,放射線に対する不安という感情を元に素早い判断がなされ,被災地産の食品に対して過度の拒否反応を起こさせる。一方,システム2は放射線量の測定データや放射線に関する知識を考慮し,「基準値越えをしたものは出ていないのだから被災地産の食品を避ける理由はない」のように,システム1による判断を抑えて被災地産の食品を受け入れる方向へ人を動かす。
では,2つのシステムの働きの強さは,どのように決まるのだろうか?
これが,本研究で三浦氏らが追究した問いだ。
3年に渡る調査!
本研究のすごい点の1つは,パネル調査を行ったことだ。
パネル調査とは,1回目に行った調査の回答者に対し,時間をおいて繰り返し調査を行う方法だ。本研究では20〜50代の既婚者を対象に2011年9月から全部で4回,年数にして3年におよぶ継続的調査を行った。調査回答者の不安感情,放射性物質に関する知識やものごとの捉え方,そして被災地産の食品に関する判断が,時間を経てどう変わったかを知ることのできるデータが得られたことになる。
1回目の調査回答者は1752名だったが,最終的に4回全ての調査に答えた回答者は818名となった。最後まで協力してくれた回答者が1回目の回答者の半分以下であるところからも,こうした調査の難しさと,ここで得られたデータの貴重さがうかがえる。
多様な立場の人に繰り返し答えてもらい,意味のあるデータにするためには,何をどう質問するかが非常に重要なカギとなる。このあたりの工夫やご苦労については,文末にある,三浦氏へのメール・インタビューをご覧いただきたい。
被災地産の食品に関する判断を決めるのは……
さて,その貴重なデータからわかったことは,要約すると次のようになる。
被災地産の食品を避けようとする傾向はひどく高いわけではないが,震災から3年たってもその傾向は減っていない。つまり,時間の経過だけでは判断は変わらない。
放射線に対する不安の強さは(おそらくシステム1を通して)被災地産の食品を避けようとする傾向を強める。
逆に,放射性物質についての知識,特に人体への影響に関する知識を持っていると,(おそらくシステム2を通して)被災地産の食品を避けようとする傾向は弱まる。
興味深いことに,実際に知識を持っていることと「自分は知識を持っている」という主観は必ずしも一致していない。実際に知識を持っている場合には,(おそらくシステム2が強く働いて)不安が高くても被災地産の食品を避けようとはしにくいが,知識を持っている「と思っている」だけの場合は,不安が高いと(おそらくシステム1の働きの方が強く),被災地産の食品を避けようとしてしまう可能性がある。
本研究ではこの他に地域差や男女差,個人内の変動についても調べられている。ここではこれ以上の詳細な紹介は省くが,興味のある方はぜひ本文にトライしてみてほしい。
※注:特定の価値判断を主張しているわけではない
なお,三浦氏らは被災地産の食品を買うか避けるかについて,論文の中ではどちらかが正しいとか良いとかいう主張はしていない。
本研究で問うた放射性物質についての知識は「何が危険でないか」に関するものばかりであったため,被災地産の食品を避けることが不適切な反応であるかのような説明になっているが,逆に被災地産の食品を買うことが過度に楽観的な反応である可能性も,本研究では否定できない。
私たちは今後も長期的に放射線災害の影響を見積もってどう動くかの判断をしなければならない。本研究から直接どう判断すべきかの答えを得ることはできないし,そうすべきでもないだろうが,個人として,また政策決定など社会としての判断をする際に,本研究の結果は,重要な手がかりの1つとなるだろう。
第1著者・三浦 麻子(みうら あさこ)氏へのメール・インタビュー