「高齢者」という言葉から抱く「先入観」
ひとくくりに「高齢者」といっても,色々な人がいる。百歳になってもお仕事をされている人,介護が必要な人,学校に通っている人,たくさんの病気を抱えている人。「歳をとること」によって,人生のバリエーションは増えてゆき,一つとして同じ人生がないように,一人として「全く同じ性格,同じ身体的・認知的能力を持っている」高齢者はいない。ところが,わたしたちが「高齢者」という言葉をきくと,ある特定の「先入観」を抱いてしまうのではないだろうか?この,「先入観」のことを,「ステレオタイプ」という。「高齢者」とひとくくりにされてしまうことで,社会的に活躍する機会を失ってしまうという年齢差別(「エイジズム」)が,超高齢社会となったわが国で問題となっている。
「ステレオタイプ内容モデル」(Fiske, Cuddy, Glick, & Xu, 2002)という考え方によれば,人は何かに対して評価をするとき,「温かさ」(温かい vs 冷たい)と「能力」(有能 vs 有能でない)の組み合わせを評価の基準とし,以下の4種類の「ステレオタイプ」と感情を抱く。ちなみに高齢者は,この中で「温かいが有能でない」という「ステレオタイプ」が抱かれやすい。
こうした「ステレオタイプ」が,感情を通して,「相手にどう関わろうとするのか」に影響している。例えば相手に対して「温かい」という「ステレオタイプ」を抱けば,「賞賛」や「哀れみ」の感情が生まれ,「相手を積極的に助けよう」という行動につながる。また,「有能でない」という「ステレオタイプ」を抱けば,「軽蔑」や「哀れみ」の感情が生まれ,「相手を無視しよう」という行動につながる。「温かさ」と「能力」の評価が異なる(温かいが有能でない,冷たいが有能)場合,つまり「両面価値的」な場合は,より顕著な側面のほうが,「相手にどう関わろうとするのか」に影響しているという。
「高齢者」をひとくくりに考えてしまうことの影響
しかし,わたしたちはどんな場面でも,こうした「ステレオタイプ」によって「その人にどう関わろうとするのか」を決定させているのだろうか。目の前に重そうな荷物を持った高齢者がいたとき,その荷物をもってあげようとするのか,そのまま見てみぬふりをするのかは,その人の中の何で決まるのだろう?
本論文では,ここで,「実体性」という視点を取り入れている。
最初の話を思い出してほしい。ひとくくりに「高齢者」といっても,様々な人がいる。しかし,わたしたちは「高齢者」と呼ばれる人たちの集まりを「ひとつの集団」としてみなしてしまうことがある。この,「ある人々の集まりを実体のある集団とみなす程度」を,「実体性」という。「実体性」が高いと,ある人々の集まりが「一つの集団である」とみなされ,「実体性」が低いと,「個人の寄せ集め」とみなされる。
筆者らはこの「実体性」の高さによって,高齢者の「ステレオタイプ」が「高齢者にどう関わろうとするか」に与える影響が違ってくるという仮説を立て,シナリオ実験を行っている。つまり,高齢者をひとくくりにして「一つの集団である」とみなす場合は,「温かい」(あるいは「有能でない」)という「ステレオタイプ」から高齢者に対して「賞賛」や「哀れみ」に感情を抱き,そして「高齢者を積極的に助けよう」という行動につながるのではないか,と考えた。実験参加者は,高齢者の実体性と「ステレオタイプ」を操作したシナリオを読み,「高齢者にどう関わりたいか」を問う質問に回答した。
さて,結果はどうなったかというと,高齢者に対して「一つの集団である」とみなす(実体性が高い)場合は,「温かい」というステレオタイプが,「賞賛」という感情を通して「高齢者を積極的に助けよう」という行動につながった。一方,高齢者に対して「個人の寄せ集め」であるとみなす(実体性が低い)場合は,このような関係は認められなかった。また,高齢者に対して「一つの集団である」とみなす場合,「能力が低い」というステレオタイプが「相手を無視しよう」行動につながったが,高齢者を「個人の寄せ集め」であるとみなす(実体性が低い)場合は,このような関係は認められなかった。
高齢者「個人」と対峙する
本論文から,わたしたちが「高齢者」をひとくくりに同じ集団とみなしているか,「個人」としてみなしているかによって,高齢者にどう関わろうとするのかが影響されていることがわかる。高齢化がますます進む一方で,日常的に高齢者と接する機会が少ない若者も増えている。そんな中,メディアが介護や認知症の問題を「高齢者全体の問題」として過度に取り上げ,高齢者の「能力のなさ」を一方的に報道してしまうことは,高齢者を「ひとくくりに同じ集団とみなす」傾向を強め,「高齢者を無視しよう」という行動を招く可能性がある。また,高齢者を「ひとくくりに同じ集団とみなす」傾向によって一様に「相手を助けよう」という行動が高まることも,高齢者自身の能力を無視したり,高齢者を「被援助者」と位置づける傾向につながったりする危険性があるため,注意が必要である,と著者らは指摘する。大切なのは,高齢者に一個人として向き合い,個人の状況を考慮した上でより適切な援助をすることであろう。
目の前の相手が「高齢者」であるとき,わたしたちは相手を「個人」として捉えているだろうか,それとも「高齢者」とひとくくりにみなしているだろうか。意識してみると,関わり方が変わるかもしれない。