他者に思いを巡らす
単に人について考えることで協力行動が促進するという。被害者に対する援助は,被害者の総数を統計的にデータで示すよりも,一人の被害者の写真をみせて寄付を募った方が,人々は協力的に振る舞うという研究もある。この論文では,他者について考える2つの方法を取り上げ,そのことが協力につながるのかどうかを検討している。従来の研究では,他者について考える方法には2つあった。1つは相手が置かれた状況をどう認識し,どう感じているかということを考える「共感」である。もう1つは,もし自分だったらその状況をどう捉え,感じるかという他者の「視点取得」である。しかし,このように他者について考えることが,そのまま協力につながる訳でもなさそうである。相手の視点にたってみて,協力しない方がより利益が得られるとわかれば,自分も同じように協力しないでおこうということになるかもしれない。また,他者の存在に気づくこと自体が相手に対する配慮につながるかもしれないが,それは社会規範としてのプレッシャーが働いているだけかもしれない。
この研究では,まず(1)「ただ他者の存在のことを考えること」を「他者想像」と呼ぶ。次に,(2)相手の立場に自分を置いて理解することと,相手を自分に当てはめて理解することの違いを指摘し,「自分を中心に置きながら相手に当てはめてみること」を「自己投影」と呼ぶ。この「他者想像」と「自己投影」を,囚人のジレンマゲームで検討しようというのが本研究の狙いである。ここで囚人のジレンマゲームとは,二者間でお互いに協力した方が得でありながら,相手が裏切れば損をすると双方が考えて裏切りあえば二者ともが損をしてしまうような状況での意思決定のあり方を検討するものである。相手が裏切らないような人物だと捉えたり,二者での取引が長期にわたって行われたりする場合に,協力が促進することがわかっている。
誰のことを想像するか
協力行動の促進について議論する際に,「他者を想像する」といえば,直面した課題である取引相手についてあれこれ考えるということが思い浮かんだりする。しかし,ここで扱われるのは,直接利害関係のある他者とは関係のない他者について考えることである。囚人のジレンマゲームを用いたこれまでの研究では,こうした他者想像と協力行動との関連は検討されてこなかったのである。他者を考えるということは,「他者は協力するだろうし,他者も自分に協力を期待しているだろう」という相互協力の期待(社会的交換ヒューリスティック)が高まることで向社会的行動が促進される。他者を想像するということによって,想像した他者とは別の相手であっても他者を慮ることが喚起され,囚人のジレンマゲームの協力率が上がるが,共感が喚起されないと協力率は高まらない。これが仮説1である。
相互協力に期待するのはどんな人?
相互協力の達成のためには,自分が協力した際に相手も裏切ることなく協力を選択してくれるだろうという期待をもつことが必要である。ここでの自分の利益は相手の協力行動次第なのであるが,その本人自身の志向は,自己利益を優先させる「利己志向者」と他者利益を優先させる「社会志向者」とに分類できる。自分を相手に投影する際に,利己志向者であれば,相手も利己志向的であると考えるだろうし,社会志向者も同様に相手も自分と同じように社会志向的であると考えるだろう。その結果,協力傾向が高い社会志向者は相手への自己投影を通じて協力率が高まり,逆に個人志向者は相手への自己投影を通じて協力しないようになっていく。これが仮説2である。
他者想像は効果的
以上の仮説を検討すべく,別々の2つの実験(実際には1つの実験)が行われ,大学生127名が実験に参加した。第1実験は,1枚の写真(実験参加者と同性の全身写真)から想像されることを10分間で記述するという「視覚刺激と言語記述」というテーマの実験とされた。実はこの段階で,実験参加者は「他者想像」させる条件(写真人物の1日の行動を想像),「自己投影」させる条件(自分を写真人物にあてはめ,この人物のある1日を想像),統制条件(風景写真からの連想)の3条件に割り当てられた。第2実験は,第1実験の3条件で囚人のジレンマゲームを行った。その結果,囚人のジレンマの協力率は,他者想像の条件が統制群よりも高かった。また,相手も協力するだろうと予想し,相手も自分が協力すると期待しているだろうと予想していた。他者が協力してくれるだろうという期待は協力行動に影響しており,他者想像により協力行動が促進されるという仮説1は支持された。一方,自己投影の条件では,協力率にも他者への協力期待にも影響がみられなかった。この自己投影の条件では「利己志向者」と「社会志向者」とに分類した個人の協力傾向でも特に影響がみらえることはなく,仮説2は支持されなかった。
協力行動を広めるために
他者について考えることの効果に関しては,自己投影では不十分であり,他者自身がどのように感じているかを考える他者想像の有効性が示された。ここで他者がどのように感じているかを考えるにあたっては,自分とは異なる他者の存在に気づく必要があり,この気づきこそが協力を引き出すカギになると筆者らはいう。囚人のジレンマゲームに関しては協力がいかなる要件で高まるか,数多の研究が行なわれてきている。そうした状況の中で,この研究は利害の当事者間の関係でとらえる内向きな志向から,その外側へ読者の目を向けさせ,これまでの実験研究の蓄積を社会的課題の解決にどうつなげていったらよいかという野心が感じられた。仮説の検証だけをみれば,まだ十分に成果は上がっていないようだけれども,この研究で設定されている実験要因は現実の社会問題を解くヒントを与えてくれているかのようである。こうした実験研究が社会変革へとつながっていくことを期待したい。
第一著者・北梶 陽子(きたかじ ようこ)氏へのメール・インタビュー