他者の心的状態を推測する2つの方略
日常生活は,様々な人々との様々な交流で成り立っている。そこではよく,互いに相手の「心を読む」こと,つまり相手の考えや気持ちといった心的状態を推測し,それに応じた反応が求められることがある。われわれは,直接経験することのできない他者の考えや気持ちを推測する際に,一体何を手がかりとしているのだろうか。心の哲学や認知科学の議論にもとづいて,次の2つの方略が存在するだろうという指摘がある。
まず1つは理論説で,「こういう人だからこうだろう」と知識や論理に基づいて判断する方略である。知識や論理としてよく用いられるのがステレオタイプである。例えばある人物が人助けをしている場面で,それが医学部の学生だと知れば「医学部の学生は有能だが温かみに欠ける」というステレオタイプに基づいて「この人は(医学部の学生だから),頭はいいだろうが,無償で人助けをするような親切さは持たないだろう」といったステレオタイプ化を行う。もう1つがシミュレーション説で,こちらは「自分だったらこうだろう」と他者に自分を当てはめる方略である。これを投影という。さらに,これら2つの方略のどちらを用いるかは時に応じて異なるという指摘もあり,本研究は,それが「相手と自分の共通点の多さ」によることを示したアメリカの研究(Ames, 2004)に基づく実験を日本で実施し,同様の結果が再現されるかどうかを検証したものである。
Amesの研究では,相手の自分の共通点が多いと「相手と私は似ている。だから,相手は自分と同じ考えや気持ちだろう」と推測する,つまり投影が行われやすくなるが,共通点が少ないと「相手と私は似ていない。だから,相手は自分と異なる考えや気持ちだろう」と推測して,ステレオタイプ化が行われやすくなる,という仮説が次のような実験で検証されている。
日本における再現性の検証実験
では石井・竹澤両氏による日本での検証実験(研究1)を見てみよう。実験は3つ行われていて,いずれも参加者は関東の大学に在学している学生である。推測対象となる人物は,1aは「関西で生まれ育ったAさん21歳女性」,1bは「34歳の男性弁護士Aさん」,1cは「ナポリ出身の22歳イタリア人男性Aさん」で,1aと1cは日本人がステレオタイプを抱きやすい典型的対象を,1bはAmesが用いたのと同様の対象を用いている。しかし,どの実験でも,参加者が相手と自分は似ていると思うかどうかによらず,つまり類似性が低くても,ステレオタイプ化よりも投影の方が行われやすく,両者の使い分けは起きていなかった。3つの実験をまとめて分析しても同様の結論だった。
なぜAmesの知見が日本では再現されず,一貫してステレオタイプ化が行われにくいという結果になったのだろうか。Amesの知見そのものの再現性が低いのか,何らかの文化的要因によって日本ではアメリカと異なる結果になるのか,それとも研究1の実験手続きやシナリオの内容がまずいのか。研究2では,研究1aの「関西出身者」を対象とした実験に手を加えて,「やり方がまずかった」可能性が検証されている。まず,Aさんに関する紹介文やシナリオを読んで考えや気持ちを推測したり自分ならどうかを考えたりする一連の測定の前に,典型的な関西出身者をイメージしてその性格や振る舞いについて記述してもらうことによって,参加者がステレオタイプを頭に浮かべ,推測の際にそれを利用する可能性を高めた。そして,呈示する紹介文の内容も,より「関西出身者」らしいものにして,推測の際にステレオタイプが適用される可能性も高めた。しかし,得られた結果は研究1と同様であった。つまり,再現されなかったのは,やり方がまずかったせいではなさそうだということが分かった。加えて,統計上の問題(本研究のサンプルサイズが小さく検定力が不足している可能性)についても検討されているが,その問題も小さいだろうという結論を呈示している。
では次に検討すべきは,何らかの文化的要因によって日本ではアメリカと異なる結果が得られるのか,という可能性であるが,本論文では関連する可能性のある要因として北米と東アジアでは「集団」をどう認知するかに文化的な差異があるとする知見(例えば Yuki, 2003)に言及するのみで,その差異がどのような影響を持つのかを検証するところまでは到達していない。ただし石井氏によれば,「実は,その後の研究で,『なぜ再現できないのか』を説明できる可能性が見えてきました。現在,新たな論文を鋭意執筆中です。『再現できないが,その理由は分からない』という結果に不満をもたれる方は,ぜひ続報をお待ち下さい!」とのことなので,その成果に大いに期待したい。
心理学研究の再現性,ことにその低さについては,近年大きな議論になっている(Open Science Collaboration, 2015・紹介記事)。興味深い知見であればあるほど,その再現性を「よってたかって」検証することの意義は大きい。しかし,欧米,特に北米で得られたデータに基づく研究が優勢な現況において,日本でそうした研究で得られた知見の再現性を検証することには,同じ文化圏で行うそれよりも遥かに多くの困難が伴う。本論文は,それを実に丁寧に手がけており,また無理に結論を急がず「理由は分からない」でとどめた点でとても誠実な研究だとも言える。改めて,今後の成果に注目したい。
補足・GLMMによる統計分析
本研究のもう1つの特徴は,近年注目されている統計手法GLMM(一般化線形混合モデル)が用いられている点である。本研究においてAmesの先行研究と同じ分析を行おうとすると,類似性について顕著な特徴をもつケースのみを対象とすることになるため半数以上の参加者を分析対象から除外しなければならなくなること,またシンプルな相関分析も可能だがそれでは類似性の高さに応じて2つの方略が使い分けられるという交互作用効果を直接検討できないこと,という2つの欠点が生じるが,本研究ではGLMMを用いることによってそれらを解決し,より無駄のない,直接的な仮説の検証を実現している。GLMMとは何だ,しかしよりよい分析ができるなら是非勉強してみたい,という方には,「第2回日本社会心理学会春の方法論セミナー:GLMMが切り開く新たな統計の世界」が参考になる.リンク先に資料と動画があるので,是非ご参照いただきたい。
石井辰典氏へのメール・インタビュー