人助けがよぶ批判
私たちは、日々の生活の中で様々な人と支えあいながら、助けあいながら生きている。しかし、たとえば芸能人が他者への援助として寄付や慈善活動を行ったという報道がされたときのように、一部の人から「偽善だ!」といった批判が起きているのを目にすることがある。他者を援助したのに批判されたという経験は、その後の援助行動を抑制する可能性がある。このような援助者への批判は、「誰もが助けあえる、援助しあえる社会」の実現の妨げとなってしまう可能性がある。
援助した人を批判したがる理由について、「単に批判する人の性格が悪いのでは?」と考える読者もいるだろう。しかし、この研究では、あえて社会的状況という側面に注目している。つまり、性格のような個人レベルの話ではなく、「このような状況のときに、私たちは援助を批判的に捉える」という状況レベルで考えるということだ。このような視点にたち、この研究では2つの社会的状況に注目して、どのような状況での援助が批判されるのか、検討している。具体的には、参加者には「男子学生が女子学生を援助する場面」について書かれたシナリオを読んでもらい、その援助行動について第三者として評価してもらうという実験を行っている。援助は、大学生が想像しやすい「自転車を起こすのを手伝う」「小銭を拾うのを手伝う」「パソコンの操作を教える」といった場面が採用された。その際、2つの状況要因が操作された。まずひとつが、その援助行動を見る他人がその場にいたかどうかであり、「他人がいない」「他人がいる」「他人がいて、その人は男子学生の行動を称賛している」の3つの状況が用意されていた。そしてもうひとつ、援助される女子学生が「援助を求めていた」「援助を断っていた」の2つの状況が用意されていた。これらの状況の組みあわせによって、たとえば「とある男子学生が女子学生に頼まれて(援助を求められて)パソコンを教えてあげた。その場面を他人がみていて、称賛された」といった6通りの状況が設定されていた。
誰かが見ている状況での人助け
誰かに見られている状況での人助けは、「カッコつけたいだけ」とか、「イメージアップのためだろ」といった批判の対象になるかもしれない。つまり、その行動は人助けのためでなく、自分の株を上げるためのものだといわれてしまうことがありうる。そうなれば、人助けをしたはずなのに悪い印象を持たれてしまう可能性がある。しかし、この研究では、誰かがみているという状況であっても、誰もみていない状況であっても、自分の株を上げるために援助を行ったと思われるかどうかに差がみられなかった。この点についての著者の考察をひとつ紹介したい。この研究では、知らない人に見られていたという状況を設定していた。しかし、もし見ていた人物が友人であったり、良いイメージを持ってもらうことが有利に働く人であったりすれば、自分の株を上げるために援助したと思われる可能性が高くなるかもしれないと述べられている。
では、誰かがみているという状況で、その見ていた人が援助行動を称賛している場合はどうだろうか。この点についてこの研究では、見ていた人が援助行動を称賛していると、その援助が利己的動機に基づいたものではないという認識が生じないことが示された。つまり、称賛というわかりやすいイメージアップが生じている状況では、自分の株を上げるために援助をしたという可能性を否定できなくなるということだ。しかし、逆の解釈もできよう。実験に使われたシナリオでは、見知らぬ他人に「あの人(男子学生)、優しいなぁ」と称賛される場面となっていた。男子生徒が友人に称賛されるならまだしも、ただ見ていただけの見知らぬ人が思わず称賛してしまうようなことを男子学生はしたのだと考えることもできる。そのため、実験に参加した人の中には、先に挙げたように男子学生が「分かりやすいイメージアップ」を狙ったと考えたのではなく、「彼の行動(援助)は、称賛に値する行動だ。彼は人のために動ける良い人に違いない」と思うパターンも考えられる。著者はこの可能性も指摘し、今回の研究でみられた結果をどこまで一般化できるかについては、さらなる検討が必要だとしている。
求められた人助けと「ありがた迷惑」
求めていない人助けは、「ありがた迷惑」と非難されることがある。当然、求められた援助をしてくれる人と、求めてもいない援助をしている人では、そのイメージは変わるだろう。この研究では、求められた援助をした人は純粋に他者のために援助をしたと思われること、そしてそれによって良いイメージを持ってもらえるということが示された。また興味深いことに、求められた援助をしたということが、自分の株を上げるための援助か他者のための援助かという認識に関わらず、良いイメージの向上につながることが示された。
「善」とされる人助け、「偽善」とされる人助け
この研究では、「その人助けは『善』と捉えられるか、はたまた『偽善』と批判されるか」という大変興味深いテーマについて検討されている。そして、見ている人が称賛していたり、助けを求められていなかったりという状況での援助は、批判の対象となる可能性が指摘された。つまり、人助けした人を批判するかどうかは、状況によって左右され得るということだ。
こういったテーマの研究は、私たちに日々の生活のなかで役立つ示唆を与えてくれる。人間の行動は、個人の内的要因だけではなく状況要因の影響を案外強く受けるのだ。だからこれからは、もし人助けをした人を批判している人をみても、「あいつは性格が悪いから、せっかく人助けをした人を批判しているんだ」とは思わないようにしたい。状況要因が批判を促しただけだということも考えられるのだから。もしこの研究やテーマに興味を持っていただけたならば、ぜひとも論文もお読みいただきたい。
山本佳祐氏へのメール・インタビュー