説得に関する社会心理学研究
「説得」とは,誰かが何かを決めよう(誰かに何かを決めさせよう)とする場面で,決める主体の考えや行動を自分がそうしたい方向に導こう,あわよくば変えてしまおう,という意図をもったコミュニケーションである.ある商品を買うかどうかを迷っている客になんとか買わせようとする店員,経営方針を決める会議で原案にただひとり首を縦に振ろうとしない社長をなだめすかす役員たち,はたまた長年の交際の後に遂にプロポーズしたのに迷いを見せるパートナーに自分と結婚するメリットを思いつく限り並べ立てる私…などなど,人と人のコミュニケーションにおいて,誰かを説得したり,誰かに説得されたりする場面は多々ある.どうすれば自分の意図を果たせるのか,つまり,説得によって人の態度を自分の意図する方向に導くことができるのかは,なかなかうまくいかないだけに多くの人が興味をもつトピックだろう.そのため,説得に関する社会心理学研究には長年にわたり多くの研究の蓄積がある.ロバート・チャルディーニたちの研究グループによる『影響力の武器』シリーズ(誠信書房刊)は一般にもよく知られている.
ヒューリスティック-システマティックモデル(HSM)
さて,説得に関する社会心理学研究の主たる問いは,そのプロセスに注目して,「どういう要因が説得の効果を高めるのか?」と「どのように説得を受容しているのか?」を説明できる理論モデルを構築することである.いくつかある理論のうち,ここではこの論文の基盤理論である「ヒューリスティック-システマティックモデル(HSM)」についてごく簡単に紹介しよう.
まず,あなたが友人の家で開催される夕食会にワインを1本買って行こうと思い,ワインショップに入った場面を想像してほしい.しかも,出かけるのが少し遅れてしまい,5分ほどしか時間がない状況だとしよう.本来ならずらりと並ぶ様々な種類のワインから好みのものを見つくろいたいところだが,無理そうだ.となれば,店員に「あなたのお勧めは何?」と聞いて勧められたものを,あまり深く考えずに「お勧めなんだから悪くはないだろう」と判断して買うのではないだろうか.あるいは,その夕食会にはあまり気乗りがしておらず,「とびっきりのワイン」を選ぶほどの意欲がないときや,そもそもワインにあまり興味がないときなども,おそらく店員のお勧めに従うだろう.これが「ヒューリスティック処理」である.ヒューリスティック処理とは,ごく簡単に入手できる手がかりを利用して判断することである。この場合であれば,店員のお勧めであることが手がかりとなり,そこから『お勧めなんだから悪くないだろう』という経験則に従って、提案を受け入れるということだ.そんな客に「いかにこのワインがいいものか」を長々と講釈することは,あまり効果がない.客はその内容を深く考える余裕がないか,あるいはそのつもりがないからだ.一方で,客が,非常にワインに詳しい人物だったり,この夕食会には是非とも「とびっきりのワイン」をと意気込んでいたりしたらどうだろう.「これがお勧めです」と言うだけではきっと納得しないだろう.どういうところが「お勧め」たるゆえんなのか,今から行くパーティの場にふさわしいか,持参する自分の株を上げられるか,などとあれこれ考えて,根掘り葉掘り情報を求めてくるはずである.これが情報をより深く吟味する「システマティック処理」である.こういう時は,詳しい情報が伴わない口先だけの「お勧めです」はかえって逆効果かもしれない.
HSMでは,人が説得を受け容れるプロセスは,それをよく考えようとする意欲やそのために割ける気持ちや時間の余裕があるかどうかで異なる,と考える.意欲や余裕があれば,ごく簡単な手がかりだけに頼らず,中身をじっくり吟味してから受け容れるかどうかを決める一方,それらがなければ吟味せずに,「誰が言っているか」などのわかりやすい手がかりで決める,というわけだ.
複数の人から説得を受けるとどうなるか?
図1 説得者と受け手が1対1(左)と複数対1(右)の説得(中村早希氏によるイラスト)
HSMは直感的にもわかりやすい理論で,実証的証拠も多く得られているが,意外にも大きな問題があった,というのがこの研究のそもそものきっかけである.その問題というのは,実証研究のほとんどが「説得者Aさんが受け手Bさんを説得する」という1対1の場面(図1左)を想定して行われており,「説得者Aさんと説得者Bさんがそれぞれ受け手Cさんを説得する」という,複数の説得者が複数の説得をする場面(図1右)を用いた研究がほとんどない,ということである.例えば,選挙のような場面を想像すれば,私たちが日常的に経験する説得には,複数人から複数のアプローチを受けてどれか一つに決める,というものが多くあることにすぐ思い至るだろう.こうした場面での説得の受容プロセスについて,これまでの研究が「前提」としてきた1対1の場面と同じくHSMをベースとして考えてよいのかどうかを検証したのがこの論文である.
論文では大学生を参加者とする実験室実験が2つ報告されている.実験参加者には自分が居住する市町村の首長選挙が行われることを想定してもらい,立候補した2名の候補者とその政策(図2参照)を読ませて,どちらの候補者の政策を重視すべきか,好ましいと思うか,などを尋ねている.候補者は,一方(図2であれば竹内氏;実験が行われた関西学院大学は兵庫県西宮市にある)は自分が居住する市町村,つまり地元の出身者で,もう一方(図2であれば吉川氏)は別の,つまりあまり縁のない人物である.政策はいずれも高齢化対策に関するものだが,竹内氏の政策はぼんやりと「高齢者には幸せに暮らしてもらいたい」とは書かれているものの,あまり具体的ではない.一方,吉川氏の政策は介護職員の待遇改善や在宅介護の知識技術支援など,どう取り組むかが具体的に示されている.ヒューリスティック処理がなされれば「地元出身である」というわかりやすい情報に反応して竹内氏の政策の方が,一方で,システマティック処理がなされれば情報の具体性の高さに反応して吉川氏の政策の方が,それぞれより高い評価を得ると考えられる.
実験1では,参加者がこれを読むときに「二重課題」という手法を用いて,気持ちの余裕を奪う条件を作っている.具体的には,参加者のうち半数には,単に文章に目を通すだけではなく,「か行」の文字があったらボタンを押す課題を同時に行うように求めた.そして実験2では,読む時間をとても短くして,時間の余裕を奪う条件を作っている.HSMにもとづくと,2つの課題を同時にこなさなければならない,あるいは,ごく短時間で情報を読むことを求められた参加者は,落ち着いて内容を吟味する余裕を失ってしまうために,システマティック処理をすることなく,地元出身の竹内氏の政策の方を高く評価しがちになると予測できる.
図 2 参加者に読ませた候補者とその政策に関する情報(論文Figure 1)
2つの実験の結果は,いずれもHSMにもとづく予測を支持するものであった.つまり,どちらの実験においても,気持ちや時間の余裕を奪われた参加者は,地元出身の竹内氏の政策の方を高く評価する傾向が見いだされた.つまり,説得者が複数いる場面でも,そのプロセスを考える際にHSMをベースとしてもよい可能性が示された,ということになる.
著者らは今後,HSMをベースとしつつ,1対1の説得であれば存在しない,複数の説得者による説得状況に特有のプロセス,例えば複数の情報を比較検討することが説得の効果に与える影響を検証する予定である.今後の研究の発展に期待してほしい.
第一著者・中村早希氏へのメール・インタビュー